カテゴリ: 東日本大震災・福島原発事故・避難者

6月22日、「あれから13年、原発問題のいまを問う!「線量計が鳴る」上映会とシンポジウム」に参加しました。

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私自身、原発事故の被害者でもあるのですが、今回は、中村敦夫さんが出られるということで、ぜひお会いしたいと思い行ってきました。私は世代ではないのですが、Youtubeで偶然「木枯し紋次郎」の動画を見て、「中村敦夫さんカッコいいな。主題歌の上條恒彦さんもカッコいいな」と思い、ファンになっていた所です。上條恒彦さんは、数年前、帝国劇場の「ラ・マンチャの男」で生で拝見しまして、感動したのですが、中村敦夫さんは主人公ですからね、生で見れて感激しました。

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作品の内容は、元原発技士だった男が、事故をモノローグ形式で振り返りながら語るというものですが、約100分の作品で、中村敦夫さんが一人でずっと語っている訳ですが、全くダレる事もなく、見ている方も全く飽きる瞬間もなく、すっかり引き込まれて100分間が過ぎてしまいました。中村敦夫さんは、環境問題に取り組む「みどりの会議」という政党を立ち上げ、1998年から2004年まで国会議員も務められた方ですので、原発問題にもとても詳しく、大変勉強にもなりました。

上映会とシンポジウム終了後は、販売会もあり、サイン本を購入させて頂きました。

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2ショット写真も撮って頂いて感激です。84才というと、私の父と同い年ですね。いつまでもお元気で居てほしいと思います。

ちなみに、この会は、日本ペンクラブが主催だったのですが、会員も募集しているという事で、入会資格を訪ねた所、「2冊以上の本を出していること」とあったのですが、私は、本1冊と映画の脚本1本だけでして、それでも大丈夫か訪ねた所、可能だという事で、あとは、推薦者が居れば申込みができるそうです。そんな訳で、昨年出版した「怪人家族の総選挙」を中村敦夫さんにお渡しし、推薦のお願いもして来ました。しかし、入会もそんなに簡単ではないと思うので、良いお返事が頂けなくても、また賞に挑戦してレベルアップして行きたいと思っております。

そのような所で、色々と収穫のある会でした。

2024年6月12日に、東京地方裁判所で開かれた、「311子ども甲状腺がん裁判」を傍聴してきました。

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開廷前に、裁判所の前で、弁護士さんや支援者の方が集会を行っておりました。代表の方(事務局?)とお話をした所、なんと、福島県中通りの方(震災当時)でした。たしかに考えてみると、浜通りの避難地域の方は他所に避難し、賠償もされていると思いますが、この、「甲状腺がん」については、避難地域でなく、当時、福島に残った方の被害者が多いのかもしれませんね。(震災から数年は福島に居て、その後、福島を出たような方ですね)

また、被告は、国や福島県かな?と思って訪ねた所、「東京電力だけ」との事でした。私のイメージでは、「甲状腺がんの原因が放射能だと立証するのは難しいが、その後、甲状腺がんと診断し、切除手術をした(そのせいで具合が悪くなったり苦痛を受けた)のは国や県の責任だから賠償せよ」という主張かと思っていたのですが、違っていて、少々意外でした。

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傍聴券の配布には100人以上は集まっていたので、抽選になりましたが、運良く当たり、膨張することができました。

話を聴いてみると、

原告「原発事故のせいで甲状腺がんになった」
被告(東電)「それは過剰スクリーニング検査のせいだ(国が悪い)」
原告「いや過剰診断ではない(国は間違ってない)」

といったやり取りで、ともすれば、原告があべこべに国を弁護してるような印象も受けまして、これはちょっと戦略を誤っているのではないかと思いました。

裁判となれば、被告は全力で逃げようとしますから、「甲状腺がんと診断して手術したのは国の責任だ(そしてそれは過剰診断だ)」という主張になります。そこで、被告に国や福島県が入っていれば、「じゃあ国と福島県が賠償してください」と言える訳ですが、今回は被告に入っていませんから、原告が逆に「あれは過剰診断ではなかった」なんて、国を弁護するような話をしている訳です。

わかりやすく書くと、以下の2つの戦い方があると思います。

①甲状腺がんになったのは、原発事故の放射能のせいだ(東電責任論)
②甲状腺がんと(過剰)診断され手術されたのは、国や県のせいだ(国、県責任論)

これを別々にやると、国も東電も責任を押し付け合って逃げようとしますので、一緒に訴えるべきでしたね。そうすれば、必ずどちらかの責任に持っていく事ができたと思うのですが。

まあ私は法律の専門家ではないので、難しい話はわかりませんが、はじめて今回の裁判を傍聴して思ったことを書かせて頂きました。私も元福島県民で原発事故被害者とも言えるので、原告の子どもたちには頑張ってほしいと思ってはおりますが。今後も機会があれば傍聴しに行ってみたいと思います。

2024年2月21日、東京ミッドタウン八重洲カンファレンスで開催された、『福島県浜通り地域の「今」そして「未来」~サステナブルな社会の実現を目指して~』(主催:東北大学グリーン未来創造機構)に参加してきました。

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東北大学、福島国際研究教育機構(F-REI)、環境省の研究者、実務者の方から、福島の原発事故からの復興について、現状とこれからのビジョンについて説明、報告がありました。やはり研究者から見ると、甚大な影響をもたらした原発事故も物凄い研究対象になるのでしょう。この知見を未来へ活かしましょうという話をされていました。環境省の方は現実的で、放射性廃棄物の中間貯蔵庫、30年後に県外の最終処分場へ持って行く話(場所が未定ですが)、そしてその量を減らす為の再利用(道路整備の盛土や、農地の土壌など)などについて話されていました。この辺は、国が最後まで責任を持ってやる、大学などの研究機関もそれに協力する、そういう意思表示が見れて良かったと思いました。

後半では、浜通りの、帰還困難区域などができてしまった、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町の首長さん達が来られてパネルディスカッションを行いました。こちらは、前半の研究者や国目線の話から被災地域目線の話になり、この13年間辛いこともあったという感じも滲ませながらも、未来へ希望を持って生きて行くんだという気持ちの部分を強く感じました。地域によって状況も違いますが、戻らない選択をした避難者も多く、街を復興して整備しても人が居ない、復興とは一体何なのか?そういう疑問も抱えながらも、進んで行っているという感じですね。企業誘致も進んで、新しい人も入って来ては居るようですが、全国的に少子高齢化が進む中、福島の未来はどうなるのか?中々難しい所だと思います。

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私も何か福島の為にしたいなと思いつつ、何も出来ていない所がありますが、とりあえず、今年は未体験の相馬野馬追に行ってみたいと思います。現地に足を運んでみる。というのが、個人に出来る復興のお手伝いかも知れませんね。

2023年11月18日、東京国際フォーラムで開催された「ふくしま避難者交流会2023」に参加して来ました。

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東日本大震災から12年も経ちますので、参加者も年々減っているように感じます。しかし、まだ問題は続いておりますし、風化させない為にも、こういったイベントを続けていく事は大事かもしれません。

会では色んなコーナーがありましたが、帰還した避難者が「復興なみえ町十日市祭」を中継するというコーナーがありました。

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同じ浪江町から避難し、そのまま関東に居られる方、戻った方で面識があるのでしょう。故郷、同郷の人を懐かしむ声が上がっておりました。

次にクイズゲームがあったのですが、私のグループのメンバーは何と、須賀川市、福島市、白河市、会津若松市という、浜通りがメインと思われる参加者の中でも、珍しく、中通り、会津地方の4人が偶然にも集まったチームで、逆に意気投合した感じでした笑。ちなみに、クイズに正解し、その後のジャンケンにも勝ちまして、景品を頂きました。

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真ん中の甘酒がそうです。何と、大熊町のお米で作った甘酒です。その名も「帰忘郷」。

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裏面には思いのこもったメッセージが書かれていました。

最後には、浪江町のキャラクター「うけどん」のグッズなど頂きました。

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うけどん可愛い。

最後に、福島県の復興局の部長さんがいらしたので、作家デビューを報告しようとした所、すでにご存知でした。僕は東京で頑張ろうと思いますが、「福島県特撮文化推進員」とかに任命してもらえるとやりやすいのでよろしくお願いします。


2023年11月3日、「避難者と支援者による ふれあいフェスティバル2023」(主催:広域避難者支援連絡会 in 東京 広域避難者交流会実行委員会)に参加しました。

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東日本大震災・原発事故から12年ですが、東京ではまだこういった交流会が開催されています。参加者は100名ぐらいでしたでしょうか?やはり、福島県浜通りの方が多かったですが、中通りや、宮城県、岩手県の方も少数ですが居られました。80歳ぐらいのお婆さんが「電車乗り継いで来たんだ。だんだん東京慣れてきたな」なんて言っておられて、たくましく適応されているなと思いました。

寄せ書きのコーナーがあったのですが、コロナ禍で開催できない期間があったせいか、「みんなに会えて嬉しい」といった言葉が見られました。

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手前味噌ですが、私は2023年4月に、初の児童小説を出版しましたので、報告させて頂きました。空想特撮小説「怪人家族の総選挙」です。特撮の神様、円谷英二の故郷、須賀川市出身の私が、東京に出てきて映像作品に関わるようになり、インスピレーションを得て書いた特撮小説です。よかったら読んでみてくださいね。主催者の方にも一部献本させて頂きました。

怪人家族の総選挙 刊行案内チラシ(WEB用)

話を戻しまして、交流会の会場では、避難者の12年を写したパネル展があったのですが、こちらの一枚が目に止まりました。

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原発事故の避難生活のせいか、お母さんの方は離婚してしまったそうですが、当時大学生だった娘さんは社会人になり、ご結婚されたそうです。

さて、こういった交流会もそろそろ最後かなと思い聞いてみたのですが、まだ続けていくそうです。実際、各地域の交流会は、参加者も減り、自然消滅したような所も多いのですが、東京ですからね、関東隣県からも集まりやすいですし、参加者が居る限りは続けていく事も大事かもしれません。

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