投稿が遅れましたが、やはりこの件についても記しておきましょう。

このブログは「東日本大震災の原発事故避難者が、縁もゆかりも無い千葉県船橋市で脱原発を訴えて選挙に立候補する」という話について書いてきた訳ですが、結果は見事最下位落選。震災から8年も経っており、被災地の福島から遠く離れた船橋では脱原発の思いは通じず、失意の私は船橋を去り、この話は終わったはずでした。

しかし選挙が終わってから数カ月後、小さな奇跡が起こりました。

選挙前の政治活動の際、何か福島と千葉、船橋に縁がないか探していた所、相馬野馬追の起源に辿り着きました。相馬野馬追は福島県相馬地方の伝統行事ですが、その起源を辿ると、千年以上前、関東を治めていた平将門が、現在の千葉県北西部辺りに馬を放ち、軍事訓練をしていたのが始まりと言われています。その後、子孫の相馬氏が相馬地方に流れ、現在に至るという訳ですね。加えて、その馬を放っていた小金牧、小金原は、船橋にもかかっていたという事です。船橋市場には、平将門が腰掛けたと言われる「平将門の松」もありますし、やはりこの辺りを治めていた事は間違いないでしょう。加えて、これらの事が縁かどうかわかりませんが、船橋には、中山競馬場、船橋競馬場と、2つも競馬場がありますし、更に調べてみると、これらの競馬場で走った馬が、引退後に相馬野馬追で活躍する事もあるという事で、本当にこの、馬、千葉、船橋、福島、相馬、これらは縁があるなあと思うようになりました。それで政治活動のチラシにもこれらの縁について言及し、「政治家になれたら船橋の競馬場に相馬野馬追を呼びたい」なんて書いたんですね。千葉市や鎌ケ谷市のイベント、東京の神田祭、そして大井競馬場など、関東周辺にはこの縁を生かして相馬野馬追を呼んでいる所が沢山あるのに、これだけ縁のある船橋に呼ばないなんて本当にもったいないと思いましたからね。

しかし、選挙は落選。相馬野馬追を船橋の競馬場に呼ぶことも出来なくなり、失意の私は船橋を去った訳ですが…数カ月後、信じられない知らせが舞い込みます。

「相馬野馬追、船橋競馬場に来たる!」

いやあ本当に奇跡のようで一瞬涙が出そうになりました。

これは勝手な思い込みですが、政治活動のチラシは7万枚配りましたからね。落選はしたものの、私の存在、思いは、船橋ではそこそこ知れ渡っていたと思います。なので、それを知った役所や競馬場関係者の方が動いてくれたのかなあなんて思いました。

真相はわかりませんが、私としても、選挙は落ちたものの、願いが一つ叶って本当に嬉しかったです。

そして何か、童話のようだなとも思いました。

船橋はデンマークと縁があり、アンデルセン公園を作ったり、アンデルセン推しですからね。しかし、アンデルセン童話といえば、主人公は必ずしも幸せにはなりません。でも、人々の心に何か残る。そんな話が多いですね。ですので、私の場合も、選挙は落ちたものの、やりたかった相馬野馬追の誘致は実現した。というのが何ともアンデルセン童話的だなあと思ってしまいました。

そして来たる令和元年11月1日。相馬野馬追、船橋競馬場にて初開催。

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 わざわざ相馬から来てくれた観光協会や関係者の方とお話し、相馬野馬追を見させて頂きました。

動画にも収めたのでぜひご覧ください。



上手く撮れてない部分もありますが、雰囲気は楽しんで頂けたと思います。
勇壮な馬たちの姿を見ると元気づけられますね。福島は負けてないんだという気持ちも感じます。
実行委員の方の言葉も心に刺さります。

みなさんどうか福島の事は忘れずに。そして原発は無くしていこうという風に思って頂ければ幸いです。