2024年6月12日に、東京地方裁判所で開かれた、「311子ども甲状腺がん裁判」を傍聴してきました。

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開廷前に、裁判所の前で、弁護士さんや支援者の方が集会を行っておりました。代表の方(事務局?)とお話をした所、なんと、福島県中通りの方(震災当時)でした。たしかに考えてみると、浜通りの避難地域の方は他所に避難し、賠償もされていると思いますが、この、「甲状腺がん」については、避難地域でなく、当時、福島に残った方の被害者が多いのかもしれませんね。(震災から数年は福島に居て、その後、福島を出たような方ですね)

また、被告は、国や福島県かな?と思って訪ねた所、「東京電力だけ」との事でした。私のイメージでは、「甲状腺がんの原因が放射能だと立証するのは難しいが、その後、甲状腺がんと診断し、切除手術をした(そのせいで具合が悪くなったり苦痛を受けた)のは国や県の責任だから賠償せよ」という主張かと思っていたのですが、違っていて、少々意外でした。

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傍聴券の配布には100人以上は集まっていたので、抽選になりましたが、運良く当たり、膨張することができました。

話を聴いてみると、

原告「原発事故のせいで甲状腺がんになった」
被告(東電)「それは過剰スクリーニング検査のせいだ(国が悪い)」
原告「いや過剰診断ではない(国は間違ってない)」

といったやり取りで、ともすれば、原告があべこべに国を弁護してるような印象も受けまして、これはちょっと戦略を誤っているのではないかと思いました。

裁判となれば、被告は全力で逃げようとしますから、「甲状腺がんと診断して手術したのは国の責任だ(そしてそれは過剰診断だ)」という主張になります。そこで、被告に国や福島県が入っていれば、「じゃあ国と福島県が賠償してください」と言える訳ですが、今回は被告に入っていませんから、原告が逆に「あれは過剰診断ではなかった」なんて、国を弁護するような話をしている訳です。

わかりやすく書くと、以下の2つの戦い方があると思います。

①甲状腺がんになったのは、原発事故の放射能のせいだ(東電責任論)
②甲状腺がんと(過剰)診断され手術されたのは、国や県のせいだ(国、県責任論)

これを別々にやると、国も東電も責任を押し付け合って逃げようとしますので、一緒に訴えるべきでしたね。そうすれば、必ずどちらかの責任に持っていく事ができたと思うのですが。

まあ私は法律の専門家ではないので、難しい話はわかりませんが、はじめて今回の裁判を傍聴して思ったことを書かせて頂きました。私も元福島県民で原発事故被害者とも言えるので、原告の子どもたちには頑張ってほしいと思ってはおりますが。今後も機会があれば傍聴しに行ってみたいと思います。

須賀川市と須賀川市議会に対し、「須賀川市議会パワーハラスメント謝罪強要脅迫いじめ不当懲罰事件の名誉回復を求める陳情」を提出しました。

これは、2010年に起きた、表題の事件について、当時は、議会の出席停止の懲罰については、司法の対象外という事で、争えなかったのですが、2020年の大法廷の判決で判例が変更され、司法の対象となったという社会的情勢の変化があり、また、論争の原因となった、「更生保護サポートセンター」が、その後、私の主張通り、子供たちの遊び場から離して設置運用されている事から、私の主張が正しかったという事で、謝罪と、名誉回復を行うよう、市と議会に求めるというものです。

同時に、法務省、日弁連、東京弁護士会、福島県弁護士会にも「人権救済申立」を行いました。

なぜ今かと言うと、昨年、出版した著書を寄贈しに、久しぶりに須賀川市を訪れた時に、上記の事実に気がついたという事と、市長の橋本克也が、今季限りで引退するという事で、最後に謝罪を求めたいという事ですね。あとは、当時の議員も入れ替わっているので、判断も変わってくるかもしれないという事ですね。陳情書を読んで頂ければ分かると思いますが、須賀川市、須賀川市議会の誤りは完全に証明されているので、謝罪するしかないと思うのですが、どうなるでしょうか?役所特有の言い訳をして逃げる気もしますが、その場合でも、私はこの訴えは継続していくつもりです。応援よろしくお願いします。

※追記
この陳情を出した数日後、大津市保護司殺害事件が起こりました。本当にものすごい偶然なのですが、保護観察の相談業務には危険が伴うという事がますます証明されました。(私の事件が起きた2010年には、保護司の自宅が放火され全焼するという事件も起きました)今後、議論がなされていくと思いますが、「更生保護サポートセンターの設置場所についても、子どもの遊び場などは避けること」という事が当たり前になると思います。ですので、須賀川市、須賀川市議会には、逃げずに非を認めてもらいたいと思います。

【PDF版】
須賀川市議会パワーハラスメント謝罪強要脅迫いじめ不当懲罰事件の名誉回復を求める陳情

法務省人権救済申立

福島保護観察所長(&保護司)への手紙

※法務省の方は、「お手紙」扱いとされ、「原則、事件から1年である事」「本件の管轄は東京法務局であること」が記されたお返事が来ました。しかし、返事までに1ヶ月以上かかった事から、内部で調査、検討はされたと思います。今後の政策に活かされるかもしれませんね。

【テキスト版】
※最下部に画像版もあります。

2010年に起きた、「須賀川市議会パワーハラスメント謝罪強要脅迫いじめ不当懲罰事件」について、その論争の原因となった、「更生保護活動サポートセンター」が、その後、私の主張通り、市の中心部の子供の集まる場所を避けて設置運用されている事から、須賀川市、橋本克也、須賀川市議会の誤りが証明されている為、本件について、謝罪、及び、名誉回復を行う事を求める

須賀川市長 橋本克也 殿
須賀川市議会議長 大寺正晃 殿

●要旨
 2010年に起きた、「須賀川市議会パワーハラスメント謝罪強要脅迫いじめ不当懲罰事件」は、須賀川市、橋本克也が、市の中心部の子供の集まる遊び場の近くに、更生保護活動サポートセンターを設置し、犯罪を犯した者を呼んで、相談業務を始めた事に対して、私が議会で、「そういった施設は、子供たちの集まる場所を避けて設置すべきだ」と反対した所、市長派の議員たちに、不当に出席停止の懲罰にかけられてしまった事件であるが、時が流れ、後に完成した後継施設tetteには、子どもの遊び場はあるが、更生保護サポートセンターは置かれず、離れた場所に設置され運用されていた。これは、私の主張が正しかったという証明になっている。よって、須賀川市、橋本克也、須賀川市議会は、謝罪し、名誉回復を行う事を求める。

●事件の経緯
本件は、2010年ごろ、須賀川市が、須賀川市総合福祉センター(tetteの前身施設)に、市民に十分な説明をせず、「更生保護活動サポートセンター」を設置し、更に、「相談業務は行わない」という約束を破って、保護観察対象者(犯罪を犯した者など)を呼び、相談業務を始めた事から、私が議会でその問題を追求し、「更生保護の重要性は十分承知だが、なぜあえて中心市街地の子供たちの集まる場所(当時、遊び場が存在した)の近くに設置したのか?万が一を考え、離れた場所に設置すべきではないか?何か問題が起きたらどう責任を取るのか?」と質問した所、市長の橋本克也が、「仮定の質問には答えられない」などと、設置者責任から逃れ、無責任な答弁をしたことから、「そのような者に市政は任せられない」と言った所、市長派の議員らが騒ぎ出して議事進行を妨害し、議事を中断させた。その後、市長派の議員たちから議長に対し、「さっきの鈴木公成の発言を謝罪させろ」と要求があり、それを受けて、議長はその優位的立場を用いて、私に謝罪を求めてきた。(パワーハラスメント・強要)また、その際、「謝罪しないと懲罰にかけるとも言っている」などと、脅迫(生命、名誉、自由などに危害を加えることの告知)まがいの事を言ってきたのである。私は、おかしな事は言っていないと思ったが、前述の通り、優位的立場にある者からの要求や、脅迫により名誉などを人質に取られていた為、しぶしぶ謝罪の要求に応じた。しかし、議場で謝罪を行った所、「謝罪に誠意がない!懲罰にかけろ!」などと、また市長派の議員らが騒ぎ出し、結果、私に一日間の出席停止の懲罰が科されたのである。会議録を見ると、「謝罪をさせたが誠意がなかったので、さらにその上の罰を与えるべきだ」などと、とんでもない議論がなされており、明らかに、悪意による、悪質ないじめ行為、違法な不当懲罰事件であったと言える。事件のあと、市長派の議員らは、「してやった」と、ニヤニヤと、いやらしい笑いを浮かべていたのをよく覚えている。

●不当懲罰に対する対応
本事件を受け、私は,このような不正義が許されるのかと、法令を調べた所、明らかに違法である事がわかった。(私の発言に問題はなく、懲罰の手続きも不適法であり、また、二重処罰の疑いもあった)このことから、私は、不当懲罰と戦うべく、弁護士に相談した所、「全国の議会でこのような、多数派による、少数派いじめのような懲罰が行われているのだが、過去の大法廷の判断により、出席停止に関しては、内部規律の問題として、司法の対象外という判例が出されている。(除名は身分に関わる問題として司法の対象なのだが)よって、気の毒ではあるが、出席停止の部分で争う事は避け、議長のパワーハラスメント、謝罪強要という部分に焦点を絞り、そこを突破口にして争うのがよいのではないか」という案が示された為、私は、その線で争うことにした。その後、裁判になる訳であるが、議長によるパワーハラスメント、謝罪強要という部分では、証拠も十分でなく、結果、敗訴となったのである。私は不本意ではあったが、その後、震災の影響から須賀川市を離れていた事もあり、いつまでもこのような者たちと戦うのも不毛であると考え、本件については、一旦終わりにしようと思ったのである。わかる人はわかってくれるだろう。いずれ、政治的な解決もあるだろうとの考えであった。その後は、折りに触れ、市議会の動きを見ていたが、懲罰委員長は落選して引退、須賀川市議会も投票率低下、立候補者減少、無投票まで起こるなど、本事件による議会の信頼低下は相当なものであったと考える。

●本事件解決の参考となる事件について
さて、本題に入る前に、世の中も動いているので、本事件解決の参考となる、2つの事件を紹介したい。
福岡商業施設女性刺殺事件(2020年)
本事件は、2020年、福岡市の商業施設において、少年院を退院したばかりの15歳の少年が、21歳の女性を刺殺した事件であるが(直後に6才女児も刺そうとした所で止められる)、少年院退所からわずか2日で保護施設を飛び出して事件を起こした事から、被害者の遺族が、更生保護が不十分であったとして、2023年、国に損害賠償を求めて裁判を起こしたものである。本件からわかることは、保護観察対象者には、矯正の極めて困難な者も居るという事であり、十分な配慮が必要であるという事である。また、本件の事件現場は民間の商業施設であり、訴訟の相手には含まれなかったが、これがもし、行政の設置した更生保護施設であり、相談業務で呼んで起きた事件であれば、当然、行政の設置者責任も出てくる話である。須賀川市、橋本克也、須賀川市議会は、本件についてどのように考えるのか。

議会の出席停止の懲罰に対する大法廷の判例変更(2020年)
前述の通り、議会の出席停止の懲罰については、過去の大法廷の判決(1960年)により、司法の対象外とされてきたが、このことにより、全国の地方議会で、多数派による、少数派いじめのような懲罰事案が多数発生し、対抗手段のない被害者は、泣き寝入りするしかない状況が続いてきた。しかし、この事を重く見た司法は、2020年、ついに、判例を変更し、出席停止も司法の対象となるとの判断を下したのである。その後、該当事件の裁判は続き、2023年、ついに、被告の岩沼市側は控訴を断念、23日間の出席停止の懲罰処分取消の判決が言い渡されたのである。事件が起きた2016年から7年間もかかった戦いであったが、ついに正義が示されたのである。須賀川市、橋本克也、須賀川市議会は、本件についてどのように考えるのか。

※参考 大法廷の判例変更で、全国で次々と、出席停止の懲罰の取消が行われている。
2024年 香芝市議会 4日間の出席停止処分を取消。33万円の賠償を命じる。
2024年 石巻市議会 2日間の出席停止処分を取消。100万円の賠償を命じる。
2024年 洲本市議会 1日間の出席停止処分を、兵庫県が審決により取消。
2021年 榛東村議会 28分間の出席停止処分を、群馬県が審決により取消。
(※判例変更により、裁判を起こすまでもなく、県の審決での取消も増えている。)

●本題
 さて、本題である。2023年、私は、出版した著書を、須賀川市の図書館と小中学校に寄贈するため、久しぶりに須賀川市を訪れ、須賀川市民交流センター「tette」を訪れたのであるが、そこである事に気がついたのである。須賀川市、橋本克也、須賀川市議会が、あれほど推し進めていた、市の中心市街地の、子供たちの集まる場所の近くに設置すべきとしていた、更生保護活動サポートセンターがないのである。調べてみると、別の離れた場所に設置されていたのである。私は、自分の主張通りの政策が実現され、良い結果になったなと思ったが、これですべて済んだ訳ではない。須賀川市、橋本克也、須賀川市議会は、更生保護活動サポートセンターの設置運用場所について、考えを改めたのであれば、私に謝罪し、名誉回復を行う必要がある。繰り返しになるが、本件については、この、更生保護活動サポートセンターの設置運用場所の変更によって、須賀川市、橋本克也の当時の政策の誤りが証明されており、それに関連して私に科された出席停止の懲罰も、一切の正当性を失い、誤りであった事が証明されているのである。よって、本件について、須賀川市、橋本克也、須賀川市議会は、当時の誤りを認め、謝罪し、名誉回復を行う必要があるので、表題の通り、求めるものである。

※その他、本事件解決の参考となる情報
◯すでに在籍していないが、本懲罰事件の首謀者の議員は、本件以前にも、私に対し、暴力行為や、セクハラ行為など、陰湿ないじめ、いやがらせを行っていた。
 ・廊下ですれ違う際、道を譲らず、わざと肩からぶつかってくる暴力行為(菊地忠男)
 ・性事情について、ニヤニヤといやらしい顔で尋ねてくるセクハラ行為(鈴木忠夫)
◯橋本克也の市政運営能力について、当時から疑問の声があったが、これまでの不祥事や、市政運営状況から、誤りを何度も犯す者である事が証明されていること。
 ・職員による公金窃盗事件や、住居侵入事件などを出してしまったこと。
・教員による性犯罪や飲酒運転事故、中学生いじめ自殺事件を出してしまったこと。
・牡丹台アメニティゾーン再開発計画が二転三転し、更に財政難により中断したこと。
・2040年の市の予想人口、2万人台という、とんでもない数値を出してしまったこと。
◯法務省に、「更生保護サポートセンターの相談業務で事件が起きた場合の責任」について問い合わせた所、「基本的には加害者の責任となるが、運営上の過失があれば、設置者の責任も出てくる可能性がある」との回答であった。

●まとめ
 本件の関係者の誤りをまとめると以下のようになる。
・須賀川市の政策上の誤り(子どもの遊び場の近くに更生保護サポートセンターを設置したこと。それに対し十分な説明を行わなかったこと)
・市長答弁の誤り(無責任な答弁。法務省はきちんと回答している)
・議会の異常な対応(子を思う市民の声を代弁する議員の発言を違法、不当に封殺)

以上、須賀川市長、橋本克也は、引退を表明しているようであるが、本件については、本人が在任中に謝罪する事が道理であるので、真摯に対応する事を求める。また、議会は、本件の政治的誤りだけでなく、懲罰そのものが不適法に行われた事を、当時本件に関わらなかった新しい議員を中心として、公正な視点で検証し、誤りを認めた上で、名誉回復決議を行う事を求める。

不当懲罰の名誉回復を求める陳情-01
不当懲罰の名誉回復を求める陳情-02
不当懲罰の名誉回復を求める陳情-03
不当懲罰の名誉回復を求める陳情-04

2024年2月21日、東京ミッドタウン八重洲カンファレンスで開催された、『福島県浜通り地域の「今」そして「未来」~サステナブルな社会の実現を目指して~』(主催:東北大学グリーン未来創造機構)に参加してきました。

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東北大学、福島国際研究教育機構(F-REI)、環境省の研究者、実務者の方から、福島の原発事故からの復興について、現状とこれからのビジョンについて説明、報告がありました。やはり研究者から見ると、甚大な影響をもたらした原発事故も物凄い研究対象になるのでしょう。この知見を未来へ活かしましょうという話をされていました。環境省の方は現実的で、放射性廃棄物の中間貯蔵庫、30年後に県外の最終処分場へ持って行く話(場所が未定ですが)、そしてその量を減らす為の再利用(道路整備の盛土や、農地の土壌など)などについて話されていました。この辺は、国が最後まで責任を持ってやる、大学などの研究機関もそれに協力する、そういう意思表示が見れて良かったと思いました。

後半では、浜通りの、帰還困難区域などができてしまった、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町の首長さん達が来られてパネルディスカッションを行いました。こちらは、前半の研究者や国目線の話から被災地域目線の話になり、この13年間辛いこともあったという感じも滲ませながらも、未来へ希望を持って生きて行くんだという気持ちの部分を強く感じました。地域によって状況も違いますが、戻らない選択をした避難者も多く、街を復興して整備しても人が居ない、復興とは一体何なのか?そういう疑問も抱えながらも、進んで行っているという感じですね。企業誘致も進んで、新しい人も入って来ては居るようですが、全国的に少子高齢化が進む中、福島の未来はどうなるのか?中々難しい所だと思います。

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私も何か福島の為にしたいなと思いつつ、何も出来ていない所がありますが、とりあえず、今年は未体験の相馬野馬追に行ってみたいと思います。現地に足を運んでみる。というのが、個人に出来る復興のお手伝いかも知れませんね。

2023年11月18日、東京国際フォーラムで開催された「ふくしま避難者交流会2023」に参加して来ました。

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東日本大震災から12年も経ちますので、参加者も年々減っているように感じます。しかし、まだ問題は続いておりますし、風化させない為にも、こういったイベントを続けていく事は大事かもしれません。

会では色んなコーナーがありましたが、帰還した避難者が「復興なみえ町十日市祭」を中継するというコーナーがありました。

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同じ浪江町から避難し、そのまま関東に居られる方、戻った方で面識があるのでしょう。故郷、同郷の人を懐かしむ声が上がっておりました。

次にクイズゲームがあったのですが、私のグループのメンバーは何と、須賀川市、福島市、白河市、会津若松市という、浜通りがメインと思われる参加者の中でも、珍しく、中通り、会津地方の4人が偶然にも集まったチームで、逆に意気投合した感じでした笑。ちなみに、クイズに正解し、その後のジャンケンにも勝ちまして、景品を頂きました。

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真ん中の甘酒がそうです。何と、大熊町のお米で作った甘酒です。その名も「帰忘郷」。

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裏面には思いのこもったメッセージが書かれていました。

最後には、浪江町のキャラクター「うけどん」のグッズなど頂きました。

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うけどん可愛い。

最後に、福島県の復興局の部長さんがいらしたので、作家デビューを報告しようとした所、すでにご存知でした。僕は東京で頑張ろうと思いますが、「福島県特撮文化推進員」とかに任命してもらえるとやりやすいのでよろしくお願いします。


2023年11月3日、「避難者と支援者による ふれあいフェスティバル2023」(主催:広域避難者支援連絡会 in 東京 広域避難者交流会実行委員会)に参加しました。

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東日本大震災・原発事故から12年ですが、東京ではまだこういった交流会が開催されています。参加者は100名ぐらいでしたでしょうか?やはり、福島県浜通りの方が多かったですが、中通りや、宮城県、岩手県の方も少数ですが居られました。80歳ぐらいのお婆さんが「電車乗り継いで来たんだ。だんだん東京慣れてきたな」なんて言っておられて、たくましく適応されているなと思いました。

寄せ書きのコーナーがあったのですが、コロナ禍で開催できない期間があったせいか、「みんなに会えて嬉しい」といった言葉が見られました。

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手前味噌ですが、私は2023年4月に、初の児童小説を出版しましたので、報告させて頂きました。空想特撮小説「怪人家族の総選挙」です。特撮の神様、円谷英二の故郷、須賀川市出身の私が、東京に出てきて映像作品に関わるようになり、インスピレーションを得て書いた特撮小説です。よかったら読んでみてくださいね。主催者の方にも一部献本させて頂きました。

怪人家族の総選挙 刊行案内チラシ(WEB用)

話を戻しまして、交流会の会場では、避難者の12年を写したパネル展があったのですが、こちらの一枚が目に止まりました。

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原発事故の避難生活のせいか、お母さんの方は離婚してしまったそうですが、当時大学生だった娘さんは社会人になり、ご結婚されたそうです。

さて、こういった交流会もそろそろ最後かなと思い聞いてみたのですが、まだ続けていくそうです。実際、各地域の交流会は、参加者も減り、自然消滅したような所も多いのですが、東京ですからね、関東隣県からも集まりやすいですし、参加者が居る限りは続けていく事も大事かもしれません。

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