山岡鉄舟の墓へ墓参り。

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脱原発一本で都知事選に出ると決めた時、ふとこの言葉が

「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」

これは西郷隆盛の山岡鉄舟評だそうです。

江戸無血開城の直前、鉄舟は、官軍が江戸に迫る中、徳川家の使者として西郷の元へ向かいます。(鉄舟は貧乏で有名だったそうで、この時は刀すら持っておらず、友人に借りて行ったそうです)

そして大勢の官軍が警備する中を「朝敵、徳川慶喜家来!山岡鉄太郎まかり通る!」と大声で言って進んで行ったそうです。カッコいい。

そして西郷と会談し、江戸城無血開城の意向を伝えるわけですが、官軍の要求の一つである、慶喜の身柄引き渡しだけは断ったそうです。

その時の会談を通して西郷は鉄舟を認めたようで、明治維新後、慶喜と共に静岡に下っていた鉄舟を天皇の侍従として迎えました。

鉄舟は剣の腕も相当だったそうで、一刀流を学んだ後、無刀流の創始となりました。刀を持たずして、相手の心を折って勝つ。それが無刀の極意だそうです。これもカッコいいですね。

江戸無血開城の功労者で、無刀流の創始。

「我も無刀・無血にて脱原発を成し遂げん」

そう決意したのでした。

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※近くにある徳川慶喜のお墓も見てきました。

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